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Ten-Year Summary

A Decade Report of Our Laboratory

Edited by Ken-ichiro Seino, M.D., Ph.D.

 

 時の流れは川の流れにも似て止めることはできない。2020年4月から、現在の免疫生物分野(清野研究室)は11年目に突入した。次の10年へ向けた新たな門出となるはずであったが、新型コロナウイルス感染症のために世の中は混乱しており、イレギュラーな始まりとなった。そんな状況ではあるが、このタイミングで過去10年間の研究室の歩みを振り返り、総括することは重要なことであると常々考えていた。以前なら記念誌のようなものを作成するのが一般的であるかと思うが、今はweb時代。デジタルで記録するのが今風と考え、この形式をとることにした。ここでは、我々がこれまで英文論文として発表してきた内容を主体として、研究室の10年間の活動をまとめていきたいと思う。

​Ten-Year Summary 1

Ten-Year Summary 2

Ten-Year Summary 3

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Ten-Year Summary 5

Ten-Year Summary 6

Message from the Members

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2010年4月清野着任

 清野が本研究室、免疫生物分野の教授として着任したのは2010年4月

であった。教授選考は前年の夏頃から行われており、面接(プレゼン)

はまだ雪深い2月の終わりであった。よってずいぶん慌ただしい着任で

あった。前任地の聖マリアンナ医大の事務の方にはずいぶんご迷惑をお

かけした。また、理事長始め多くの方々のご理解があったのだと思う。

結局、キリの良い4月1日に無事着任することができた。

 選考の結果はプレゼンの翌日、当時の上出利光所長から直接お電話を

いただいた。その時、清野は宮崎の研究会に参加していて、自分の発表

の直前であった。「北大に来ていただけますか」と言っていただき、非

常に感激したことを覚えている。ちなみにその時の自分の発表は今の研

究にもつながる再生医療における免疫拒絶に関する内容で、座長は京都

大学の山中伸弥先生であった。

 4月1日に着任した日、辞令をもらった後、新しく所長になられた田中

一馬先生が昼食に誘って下さった。北大ファカルティハウスであるエン

レイソウのレストランでカレーライス(クラークカレー)をご馳走に

なった。新しい北大での人生が始まったんだと実感したのをその味と共に覚えている(ちなみにそのレストランは2020年3月に閉店になったそうで、文字通り10年ひと昔、時代は変わった)。

 当初は1人きりの着任で、住むところもすぐには決められず、札幌のホテルを転々としていた(ちなみに個人的には当時も今も単身赴任である)。また、前任地(聖マリアンナ医大難病治療研究センター)の研究室はそのままであったので、まずはラボの引っ越しを行うことが重要であった。2010年度の1年間は聖マリアンナ医大と兼任し、札幌と川崎を行ったり来たりしながら大掛かりな引越しの準備を進めた。結局本番の引越しを行ったのは2010年秋のことであった。この引越しでは、川崎側の荷物や機器の整理に和田はるかさん(現講師)が活躍してくれたことを記憶している。

 

 この当時、清野はJSTさきがけ研究「iPS細胞と生命機能」の研究者であった(第1期生)。それ以前からの研究体制・内容を継続できるということで、この時のさきがけ研究は本当にありがたかった。もしこれがなかったら、文字通りゼロからの再出発ということになったであろう。領域長であった西川伸一先生や岡野栄之先生はじめアドバイザーの先生方には大変お世話になり、またその後も交流していただいており、感謝に堪えない。

 この頃行っていた研究は、免疫細胞のリプログラミングであった。当初は抗原特異的なT細胞をリプログラミングすれば、遺伝子再構成の情報を留めたまま無限に増幅できるようになると考え、T細胞やNKT細胞のiPS細胞化を試みていた。しかし何度やっても思うようにうまくいかない。そうこうするうちに他の研究者が同じコンセプトの研究を次々と発表し(Cell Stem Cellなど)、すっかり後塵を拝してしまった。しかしこの頃には自分の中では考えが変わっていた。免疫を活性化することはリプログラム以外の方法でもいくつも手段がある。一方、免疫を抑制するために細胞のリプログラムを利用することはできないだろうか。ES細胞やiPS細胞から免疫抑制的な細胞を作ることはできないだろうか。このような細胞はES細胞やiPS細胞を用いた移植医療すなわち再生医療の現場において大いに役立つものになるであろう。この考えはその後も継続して持ち続けており、現在に至るまで研究を継続中である(進展が遅いという見方もある)。しかし、我がラボからこの考えを具現化(論文発表)するまでにはこの後数年を要した。

 

初期の論文

 北大着任前から、放射線医学総合研究所の今井高志先生、岩川真由美先生、大久保悠先生との共同研究で、重粒子線治療にa-GalCerをパルスした樹状細胞の局所注射を併用し効果を高めるという内容について検討していたが、2010年に論文が発表された(Ohkubo et al. Int J Rad Oncol Biol Phys 2010)。

 上記の通り、免疫細胞のリプログラミングを繰り返し行う中で、マウスB細胞からiPS細胞の作製に成功していた。この当時B細胞からiPS細胞を作製したという報告はなく、また我々の検討ではこのB-iPS細胞からはT細胞の分化は可能であるがB細胞の分化は困難であるという結果を得ていたので、この内容をまとめ2011年に報告した(Wada et al. Int Immunol 2011)。我々にとってiPS細胞に関する最初の論文である。筆頭著者の和田はるかさんは聖マリアンナ医大難病治療研究センター講師であったが、この頃、清野に1年遅れて北大に赴任した。

 また、前任地聖マリアンナ医大時代に産婦人科の木口一成教授が懇意にしてくださり、共同研究が始まっていた。小林陽一先生(現杏林大学教授)、大学院生の細沼信示君のがん幹細胞(side population)に関する論文が2011年に発表された(Kobayashi et al. Gynecol Oncol 2011, Hosonuma et al. Hum Cell 2011)。聖マリアンナ医大産婦人科との共同研究はその後も続いており、後任の鈴木直教授は、後に述べるように優秀な若い医師(大学院生)を札幌まで派遣してくださった(国内留学)。それは現在も続いており、同科との共同研究は今後も極めて楽しみである。(2020.06.23)

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2010年5月
聖マリアンナ時代最後のパーティーで
着任時 慶應の坪田先生からいただいた
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2011年11月​ 日経懇話会@札幌で講演
2011年12月​ 小野江前教授はじめOBをお迎えしての忘年会
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