top of page

Ten-Year Summary 4

A Decade Report of Our Laboratory

腫瘍微小環境におけるIL-34研究へ

 上記の通り、我々の興味は徐々に腫瘍微小環境、そしてミエロイド系細胞に向くようになっていた。そこへムハンマドが、薬剤耐性になったがん細胞で新しいサイトカインIL-34の発現が高くなっているというデータを紹介した。IL-34は2008年に最初に報告されたサイトカインで、CSF-1Rに結合する第2のリガンドとして報告されていた。新しいサイトカインであればまだ分かっていないことも多いだろうということで、この分子に関する研究を行うことにした。しかし、それだけではない、腫瘍において大きな意義をこの分子が持つことに我々はその後気づくことになる。

 ムハンマドは当初、ヒト肺がん細胞株A549をドキソルビシンに馴化させ、薬剤耐性とした。そして、耐性になる前と後の細胞の遺伝子発現を解析し、後者でIL-34が特徴的に高くなっていることを発見した。このがん細胞から産生されたIL-34はマクロファージをM2形質に変化させるだけでなく、IL-10やTGF-βの発現も上昇させた。実際、T細胞の増殖を抑制し免疫抑制能を有していた。また、非常に興味深いことに薬剤耐性A549細胞はCSF-1Rを発現しており、IL-34は産生した細胞自身にも働いていた。薬剤耐性細胞ではAKTのリン酸化が亢進しており、これにより抗がん剤の作用からescapeしていることが判明した。in vivoの腫瘍実験においてIL-34を阻害(発現しないように)すると、薬剤耐性が解除され腫瘍は小さくなった。さらに臨床肺がんにおいてもIL-34の発現は観察され、それは予後と相関していた。このように、腫瘍の薬剤耐性獲得あるいは免疫抑制環境形成におけるIL-34の役割を明らかにしたのは初めてのことである(Baghdad M et al. Chemotherapy-induced IL-34 enhances immunosuppression by tumor-associated macrophages and mediates survival of chemoresistant lung cancer cells. Cancer Research 76: 6030-6042, 2016)。この論文は引用数もダウンロード回数も多く、その後の研究の進展にとって重要であった。(2020.08.10)​

授業のこと

 大学の先生になったので当然授業も担当させていただいてきた。大学院の授業に関しては「・・・総論」とか「。。。演習」と言った形で複数開講させていただき、実態としては日々のカンファレンス、ミーティング、ディスカッションの内容を授業に当てた。当分野のカンファレンスに参加できない院生にはレポートを課した。

 遺伝子病制御研究所免疫生物分野は大学院(医学院)が担当であるが、大学(学部)の教育についてももちろん協力する。清野が赴任してすぐ、翌年の年度初めからの学部1年生の授業(フレッシュマンセミナー)を担当するよう依頼された。しかし、何のアイデアもなく、経験もない。いったいどうしたら良いか途方に暮れたが、様々な他の先生にも手伝っていただき、講義と自習、その後学生による発表というサイクルを繰り返す内容を取ることにし、恐る恐る開始した。と言っても、まだその当時は時間に余裕があり、清野自身15週間毎週つきあい、多くのエネルギーを傾けた。大学に入ったばかりの新入生は初々しく、真面目で、教えがいがあった。一生懸命やったせいか、エクセレントティーチャーに選ばれたり、総長教育賞を受賞したりした。何より嬉しかったのは、ここで教えた学生がその後も研究室に出入りしてくれたり、大学院修士課程に入学し我が研究室に戻ってきてくれたりしたことである。まさに小さい頃面倒を見た雛が古巣に帰ってきてくれたような感覚であった。また、当研究室での経験を通じ医学に興味を持った結果(他の理由もあるであろうが)、医学部再編入を果たした学生も複数現れた。若い学徒を導くという大学の使命において、多少は貢献できたのではないかと思う部分である。

 専門授業に関しては、医学部医学科の分子生物学、免疫学、膠原病・リウマチアレルギー内科、また保健学科で1-2コマ担当させていただいている。

研究費とマンパワー

 腫瘍におけるIL-34の発現は薬剤耐性だけでなく様々な治療に対する抵抗性獲得に重要であると考え、これに関する研究を展開することとした。幸い2017年度から3年間、AMED革新的がん医療実用化研究事業の一つとして「IL-34を基軸としたがん微小環境分子基盤の理解とその臨床的特性に基づいた新しい治療法の開発」が採択され、この研究を大きく進める原動力となった。ただ、このグラントは2016年度にも申請し、ヒアリングまで進んだもののこの時は不採択であった。つまり1年間浪人したことになる。同じくこの頃、2018年度から3年間、AMED再生医療実現拠点ネットワークプログラムに「他家iPS細胞由来組織・細胞移植における免疫寛容誘導に関する基盤的研究」が採択され、移植免疫に関する研究資金も充実した。こちらの方も、基本的概念は2013年に同ネットワーク技術個別課題に申請したものの敢え無くRejectされた内容である。一体何浪したのだろうか。まあ、正しいことをやり続けていたので世の中がやっとこちらに追いついてきたと言う見方もあるかもしれない。いずれにしても、研究資金的には、この頃やっとどうにか一息つくことができた。本当によかった。しかしもちろんお金は使えばなくなる。次々と新しいことをやるために、研究費はこれからもたくさん必要である。もっともっと欲しい。ずっとずっと欲しい。

 しかし、研究費獲得はなかなか苦しいものである。どうにかならないものか。などと弱音を吐かずにくじけず出し続けるのがPIの役目だ、とは分かっているが、研究の本質って何なのだろうと時々考えてしまう。いや、研究費はいただけると本当にありがたいです。本当に。なければ何もできない。しかし、である。「競争的資金」って永遠に残る言葉なのだろうか。この世に競争原理が存在し、必要であることも良く分かる。しかし、ネーミングにセンスがなさすぎではなかろうか。研究者に対する愛情やリスペクトも感じられない。そんなもの、必要ないということなのだろうけれど。

 

 さて、愚痴はともかく、この頃我がラボの研究は大きく進んだ(と思っている)のだが、もう一つの大きな要因は優秀な大学院生が数多く集まってきてくれたことである。清野研究室の10年間を振り返ると、やはりこの学生さんの力が非常に大きい。上記の通り、学部1年生の時に教えた子がその後戻ってきてくれた事は嬉しかった。それだけではなく、北大内外から、また北海道内外から、そして国内外から優秀な人材が数多く集まってきてくれた(清野のプチ自慢)。まさに、「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」である。あるいは「旅は道連れ世は情け」かもしれない。ともかく人材は大事である。そして、清野研究室の宝である。

 どうしてそのように多くの学生さんが集まるのですか、と聞かれることがある。楽しそうな雰囲気がどことなく醸し出されているのかもしれない(実際楽しい)。しかし、それだけでは海を越えてわざわざやって来てはくれないだろう。やはり正しく重要なことに真剣に取り組む、そしてそれを適切に発表し広報する、と言うことに尽きるのではないだろうか。では清野研究室は何に取り組んでいるのか。もちろん免疫生物学の研究を行っている。そして、中でもがんと移植にフォーカスを当てた基礎医学研究を行う、と謳っている。実際今はそうである。しかしそれも、この10年間、試行錯誤を繰り返しつつ研究を進めてきた結果である。10年経ってようやく本当の研究体制が整ってきた、と言う実感がある。遅すぎる、と怒られるかもしれない。僕自身ももっとスマートに、より高くより早く進めたかった。でも、それが現実であり歴史なのだから、仕方ないであろう。

bottom of page