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​2020年度在籍中のメンバーに寄稿してもらいました

ヒトを死に至らしめる「がん」とは一体何なのか

―北海道大学遺伝子病制御研究所免疫生物分野設立10周年に寄せて―

和田はるか(講師)

 「がん」というのはとても怖い病気であると幼少期に聞かされ、もし自分ががんになったらと思い怯えていた。やがてその治療法を開発しがんに苦しむ患者さんを助けたいと思うようになった。大学生となり、早くそのような研究に携わりたいと思っていたが、なかなかチャンスは訪れなかった。研究者としての職を得て数年が経ち、清野研一郎先生の元で研究に従事させていただけることとなり、ようやくその希望を叶える機会に恵まれることになった。一方でその研究過程では「がんとは一体何なのか」という疑問にも突き当たることになった。

 例えばマウスにできた「がん」の組織から採取した細胞を培養皿に移し、適切な培養条件で培養すると無限に増え続ける細胞を得ることができる。この細胞を「がん細胞」と呼ぶことに異議を唱える方はほとんどいないであろう。しかし、このようにして樹立したいくつかのがん細胞株を再びマウスに植えてみると2つの異なる結果に遭遇することになる。「がん」を形成する場合としない場合だ。どの細胞株も培養皿中では際限なく増え続ける、にもかかわらずである。果たしてそのような細胞は「がん細胞」なのだろうか。多くの場合、細胞株接種後に腫瘍塊を形成すればマウスはやがて死に、形成しない場合はマウスが死ぬことはない。このマウスを死なせる、死なせないを分けるものは一体何なのか。私は幸運にも清野研一郎先生(当時聖マリアンナ医大助教授、現北海道大学教授)のもと、この問いに対峙する機会に恵まれることになった。

 清野先生は人工がん幹細胞の作製に成功された近藤亨先生(当時理化学研究所チームリーダー、現北海道大学教授)の成果に着目し、がん幹細胞を標的とした免疫研究を展開すべく近藤先生と相談を進めておられた。近藤先生は、p53をノックアウトしたC57BL/6マウス胎仔の神経幹細胞にH-RasL61遺伝子を強制発現させ人工がん幹細胞の作製に成功されていた。この人工がん幹細胞をNudeマウスに接種するとマウスは死ぬが、同じようにして作製した人工がん幹細胞の中に、マウスに接種しても死なない細胞株が存在することも判明していた(後に同種同系のC57BL/6マウスに接種しても同様の現象がみられることが判明している)。聖マリアンナ医科大学の清野研究室に赴任して間もなく、清野先生のお取り計らいにより私はこの2種類の細胞株を糸口とする新規のがん治療法の開発につながる研究に携わる機会に恵まれた。

 これまでのがん幹細胞研究の多くは免疫不全マウスを用いて行われ、数々のがん幹細胞マーカーが同定されてきた。しかし、このがん幹細胞マーカーを指標に集めたがん細胞を野生型マウスに接種してもがんを形成しないというケースがよく存在した。私たちは免疫系を有する動物(例えば野生型マウス)でがんを形成するがん幹細胞をきちんと同定すべきであるという信念をもち、免疫学の観点からがん研究を進めていた。

 上述のとおり、人工がん細胞株の内ある株はC57BL/6マウスに接種するとマウスは死に(造腫瘍株と呼ぶ)、もうまた別の株の接種ではマウスは死なない(非造腫瘍株と呼ぶ)。培養皿中では2つの株は同じペースで増殖するにもかかわらずである。この2つの株の差を知ることができれば、免疫をもつ動物でがん組織を形成し最終的には動物を死なせるという、いわゆる「がん幹細胞」の特性を知ることができるのではないかと考えていた。しかしそう簡単には研究は進まなかった。定石通り、細胞表面マーカーを調べたが大きな違いはなく、遺伝子発現でもこれといって決め手となるような際立ったものを見つけることはできなかった。それにもかかわらず、この2種類の株はマウスに接種すると2つの全く違った結果をもたらす。一体何故なのか。その原因が全くわからず、為すすべなくそのまま数年が経過してしまった。

 その後フローサイトメトリーで測定するサイトカインアレイ技術が発達し、止まっていた研究が再び動き出した。IL-6をはじめとする複数のサイトカインが造腫瘍株でのみ高産生していることが判明したのだ。またこの造腫瘍株は、マウスの脳に移植すると周囲に多数のマクロファージ(Mφ)が存在するようになることがわかっていたため、腫瘍の培養上清でMφを培養してみると、造腫瘍株の上清で培養したMφは大きく扁平な形態となった。この形態を見た時、脳の奥底にしまわれていた「細胞老化」の記憶が蘇った。そこで細胞老化試験(SA-b-Galactosidase assay)をしてみると、そのMφはSA-b-Galactosidase陽性であり、細胞老化に明るい研究者に実物を見ていただいたところ、やはり細胞老化で間違いないだろうとの見解だった。その後の実験によりMφ老化は造腫瘍株由来のIL-6により生じていることがわかった。また老化MφはArginase-1という免疫抑制物質を産生しT細胞機能を低下させており、このような機構により造腫瘍株は免疫をもつマウスでも免疫系をかいくぐって腫瘍を形成し、最終的にはマウスを死なせている可能性があることがわかった。裏を返せば、非造腫瘍株ではがん細胞周囲に免疫抑制的環境をつくることができないため、免疫のある動物内ではT細胞等の免疫細胞に攻撃されてしまい「がん」を形成することができないということだ。これまで、細胞のがん化抑制プロセスに細胞老化がかかわっていることは知られていたが、造腫瘍細胞が起点となって微小環境中に存在するマクロファージに細胞老化を誘導して免疫抑制環境を作り出し、結果的に免疫健常動物内でも腫瘍形成を許容させるという新しいがんの発生メカニズムが明らかになった。

 そしてこの新しいメカニズムに基づく治療法の開発できないかと考えた。つまり、Mφの老化を阻止することで腫瘍発生率を減少させたり、生存期間を延長させることができないかということである。そして比較的すぐにこのマクロファージの老化に対する老化阻止剤がみつかった。そこでこの老化阻止剤をマウスに投与してみると、不完全ではあるものの、造腫瘍株を接種されたマウスでの腫瘍発生率を減少させたり、マウスの生存期間を延長する効果があることがわかった。

 ヒトを死に至らしめるがん細胞とは一体何なのか。全くもって不完全ではあるが、この疑問に対する答えの一端をようやく掴むことができたと感じている。しかしこの疑問の先にある私の目標はがんに罹り悩んでおられる方に希望の光となるような新たな治療法を提示することであり、まだ道半ばだ。

 本研究は聖マリアンナ医科大学の清野研開設当初より開始し、今もなお研究が続いています。長年に渡る本研究を支えて下さった歴代のラボメンバーに深く御礼申し上げます。最後に、遅々として進まない研究を長きに渡り辛抱強く見守って下さった清野研一郎先生に心より感謝申し上げます。先生の寛大なお心がなければ、本研究が完成することは決してなかったと思います。また今後も(できれば)温かい目で見守っていただけますと幸いに存じます。(2020.10.02)

研究室創立10周年をお祝いして―清野研で過ごした7年―

大塚 亮(助教) 

 個体のアイデンティティを決めるものは何か?―私が免疫学に心を惹かれたきっかけとなったのは、なぜ免疫は自己を自己として認識できるのか、という免疫学の講義の一コマだった。私達の体を様々な外敵から防御する免疫というものが、一方で私達自身を攻撃しないという精密さを持ち合わせていることに当時学部生であった私は強く興味を持った。加えて、このころ「iPS細胞」なる不思議な細胞の存在を知った私は、免疫とiPS細胞を組み合わせた研究をしたいと思った。そして「免疫 iPS細胞 北大」をキーワードにインターネットで検索し、はじめに出てきたのが清野研一郎教授のお名前だった。早速メールで研究室見学のお願いをしたところ、すぐに快諾のお返事をいただけた。実際にお邪魔してみると、研究室内の清潔感にまず驚いたことを覚えている。これは清野研究室を訪れた多くの方から聞く感想でもあり、自分がこれまで基礎の研究室に対して抱いていた薄暗いイメージが払拭された瞬間だった。清野先生は私の拙い説明で当時行っていた卒業研究のお話を聞いてくださり、またなぜこの研究室に興味を持ったのかという話を聞いたあと、研究の紹介をしてくださった。まさに私が関心を持っていた「iPS細胞+免疫」のさきがけとも言える研究コンセプトを聞き、その日のうちに進学を決意した。後日、無事に大学院入試合格通知を受け取り、来る大学院生活に希望を抱きながら残りの学部生時代を過ごした。ちょうどこの年の10月、iPS細胞の生みの親である京都大学 山中伸弥教授の2012年ノーベル生理学・医学賞受賞が発表された。

 iPS細胞は私達の体のあらゆる細胞から樹立することが可能であり、また逆にあらゆる細胞へと分化誘導することができる。ES細胞とよく似た特徴を持つ細胞であるが、倫理的な障害がなく多能性幹細胞の臨床応用に対する期待が非常に高まった。多くの人が期待したのは、機能不全に陥った臓器・組織の代用としてiPS細胞から機能細胞を作製し治療する、というものである。コストや細胞作製に必要な時間、遺伝的疾患を除けば、自身の体からiPS細胞を作ることができれば最善と考えられる。現実的にはそうではなく、骨髄バンクのようにストックされた細胞の中から患者に適合するiPS細胞を使用することが想定され、国の大きな事業として推進された。すなわち、「他人の細胞」を使って治療することが想定された。私達の体の免疫細胞は非常に僅かな違いでも他者を認識し、移植された組織・臓器を拒絶する。私が大学院時代取り組んだのは、この拒絶反応をiPS細胞を用いて制御するというテーマだった。

 本研究では胸腺という臓器に着目した。胸腺は拒絶の主たる原因であるT細胞が分化・成熟する場であり、他者の胸腺を移植することによって拒絶を抑制する取り組みが報告されていた。このアイディアをiPS細胞研究に応用し、iPS細胞から胸腺を構成する胸腺上皮細胞の作製を試みた。この研究を始めたのは修士1年の終わり頃であるが、論文が出るまでには6年ほどの期間がかかってしまった。はじめのうちはiPS細胞に様々な因子を加えることで細胞の分化が起こることに感動を覚えたが、徐々に論文の再現がなかなか難しいことに気が付き、最終的にオリジナルの分化誘導プロトコルを模索することになった。これだけで4、5年を費やしてしまい、気がつけば修士課程を修了し博士課程に在籍しているころだった。分化誘導法の確立は地道で泥臭い作業であった。様々な因子をふりかけて培養し、解析し、少し条件を変えてまた培養し解析し、の繰り返しだった。一方でこのような実験を始めた頃から、仮説・検証・仮説・検証…を1人ででき始めるようになってきたと思う。過去の分化誘導報告・発生生物学の論文・教科書を読み漁り、うまくいきそうな条件を調べて培養するのが楽しくなっていた。ほとんどがうまく行かなかったが、それでもなんとか目的のプロトコルは完成し、in vivo実験をできるまでに至った。素晴らしい治療効果とはいかなかったが、論文は無事Scientific Reports誌に受理され、記念すべき初めての第一著者としての基礎論文となった。6年もかけてしまったことは非常に反省しているが、それでも発破をかけながら見守ってくださった清野先生、実験のことなど何も知らない私に大変丁寧にご指導くださった講師の和田はるか先生には感謝してもしきれない。

 修士課程学生だった私は博士課程に進学し、大変幸運なことに博士研究員、そして助教を拝命し引き続き清野研究室で研究活動を行っている。がむしゃらに実験をこなすだけで精一杯だった修士課程とは違い、博士課程では多くの後輩もできた。とはいえ自分も研究者の卵にも満たない身で後輩を指導することは非常に難しかった。それでも共に頭を悩ませ、少しずつでも研究が進展しまた後輩の成長を実感することは良い経験になった。清野研究室は新入生に対してチューター制度を導入している。後輩の指導をすることで自らも再び学び、知識を深く定着させるきっかけとなった。更に博士研究員としては他研究機関とやり取りし研究を進める機会も増え、また助教としてはこれまで中心として関わってこなかったがん研究にも携わらせていただくようにもなり、この1年間でたくさんの基礎論文の発表に関わらせていただいた。論文もさることながら、研究費獲得の過程でも学生時代から様々な経験を積めたのも清野先生の教育方針のおかげと思う。学生の意見でも積極的に聞いてくださり、大きなプロジェクトの構成を練る過程を目の前で見ることが出来たことは今の自分にとって大きな財産である。特にAMED移植医療の大型予算の採択通知が届いた瞬間の感動は今でも忘れない。

 私が清野研究室に参加したのは、2013年4月のことだった。それから清野研究室のはえぬきとして1から基礎を叩き込んでいただいた。北大 清野研究室の10年間のうち実に7年間を学生、博士研究員そして助教という様々な立場で過ごせたことは大変光栄なことである。まだまだ未熟者であるが、自信を持って自分を研究者と認識できるようになるまで弛まず驕らず、これらからも精進していきたい。そして10周年に際し寄稿させていただくにあたって、清野研究室でたくさんの人の縁に恵まれたことを改めて身にしみて感じた。清野先生はもちろんのこと、清野研究室で出会ったすべての方に心より感謝を申し上げます。

 清野先生、研究室創立10周年、本当におめでとうございます。(2020.10.08)

- 10周年記念に寄せて -

韓ナヌミ(2016年度修士課程入学、現博士課程3年次)

 2016年から免疫生物分野に入って今年で5年目になりました。修士課程の最初の時は、これから研究生活をうまくやっていけるか心配にもなりましたが、そのうち研究テーマが決まっていろいろと実験をさせていただき、活発なディスカッションをすることで日々楽しいラボ生活をしていたと思います。修士1年の時、ただ意欲だけあってどのように進めばいいかよくわからなかった時期には、清野先生とムハンマド先生から研究の方向性に対して提案させていただくだけでなく、共同研究の機会に参加させていただきまして、いろいろと勉強させていただいたと思います。皮膚科との共同研究からは臨床における情報を受けて、治療方法の開発に対して肌で感じながら実験を進められるいい機会だったと思います。今も実験結果や進捗状況に対してミーティングだけでなく、頻繁に話し合いができるように積極的に見ていただいて、そのおかげさまで次々と成果が続くようになったと思います。

 研究面の以外でもラボ内で論文アクセプトのお祝い会、送別会、音楽会など、様々なイベントでラボメンバーとも親しくなれて楽しいラボ生活を送ることができました。今思い返してみれば、ほぼ毎日朝から晩まで一緒に実験をして食事をし、いろいろなことを話しあうことで、ラボのメンバーが札幌にいる家族のように感じられます。大学院生をここで過ごせてとてもよかったです。後日また振り替えてみたらとても大切な記憶になれるよう、これからも頑張っていきたいと思います。(2020.09.17)

羽馬直希(2017年度修士課程入学、現博士課程2年次)

 私は平成29年から当研究室に修士課程として入学し, 現在は博士課程2年として研究に従事しています. 学部時代から, 免疫系と腫瘍微小環境の関係に強い興味を抱いており, 研究室選びを行っていく中で辿り着いたのが清野研究室でした. もとより北海道大学に魅力を感じていたことも合わさり, 私にとって運命的とも言える巡り合わせだったと感じています.
 研究室に所属し, 清野先生のもとで研究に従事することによる学びは多く, 中でも私の今後の生き方に影響すると感じるほどのものが二つあります. 一つは, 何をやらないかを決めることが非常に大切であるということです. 以前清野先生から, “研究室を持つ際に自分は移植免疫と腫瘍免疫以外は取り上げないと当時決めた”, というお話を伺ったことがあります. ご本人曰く, まだ二つあるじゃないかと周りから言われるかもしれないが, とのことですが, とにかく他には手を広げないと決めたそうです. 私は昔から周りや流行り物に流されることが多々あったのですが, 清野先生のこのような姿勢を近くで見ることで, 自分のマインドセットも変わりました. 本当に必要で重要度の高い仕事とは何なのか, また, どのような問題に白黒ハッキリつけることが大切なのかを考える機会が増え, やらなくて良いことを自身の行動リストから消していきました. まだまだ未熟ではあるものの自身の研究生活に先生のマインドを落とし込め始めていることが, 当研究室を選んでよかったと思う点です. 問題を見極め, 良い課題設定をすることで, 今よりももっと研究室に貢献したいという思いが日に日に強くなっています. 二つ目は研究者としての前に, 社会人としてあるべき姿勢を重んじることの大切さです. この文面だけを見ると, 少し強い印象を受けますが, 私は”Good man”の精神を大切にせよということと理解しています. 研究に対しても, そして同僚や後輩に対しても真摯に向き合うことの大切さを先生はよく説きます. 当研究室に所属しないと知り得ない”清野研究室 3ヶ条“を設けたりと, 説くだけではなく, システムとしても導入されてる程です. その背景に, 研究医としての時間を過ごした筑波大学での生活が基盤としてあるらしく. 清野先生が自分たちの年齢の頃に影響を受け, 先生の中に今もなお行動基準として強く残っている精神をこうして体感できることに改めて感謝いたします.
これからもこの清野研究室で研究者, そして社会人として成長し続けます.

 清野先生, この度は教授就任10周年, 本当におめでとうございます. (2020.09.23)

小林拓斗(2017年度修士課程入学、現博士課程2年次)

 研究室創立10周年、おめでとうございます。

 清野研究室を初めて訪問したのは学部4年生の時の見学会で、第一印象は”国際色豊かで明るい研究室”でした。清野先生自ら研究内容について紹介してくださり、がん免疫に興味のあった私は入学を決意しました。がん免疫と移植免疫という対極にあるような二つを扱っている中、どちらにおいても成果を続々発表し、研究を進める姿に力強さを感じました。今では、学部生の頃に清野研究室のHPに辿り着き、見学会への参加を申し込んだ自分に感謝しています。

 昨年まで研究室に所属していたムハンマド先生が送別会でおっしゃった「清野先生は学生やスタッフ一人一人を本当に大事にしてくださっている」という言葉は、私もまさにその通りだと思います。OBの方々が北大の近くに来たからとラボにご挨拶にいらっしゃったり、場合によってはご家族連れで遊びに来られたりすることや、毎年恒例の忘年会(時節柄、今年は開催が難しそうで残念です・・・)等で店舗をワンフロアもしくは丸ごと貸し切り状態にしないと入りきらないほど参加者が集合することにも、清野先生のあたたかいお人柄と10年間の歴史が感じられます。

 このような素晴らしい研究室に在籍し、記念すべき10周年をメンバーの一人としてお祝いできることをとても嬉しく思います。私としては今春で大学院生としての前半三年間を終えました。半分を超えたと考えると、既に少し寂しい気持ちもありますが、これは今が楽しいことの裏付けであると前向きに考えることにします。長くも短くもあった三年間でしたが、研究生活についても、それ以外のことについても充実しています。清野研究室での生活で、これまで出会うことのなかった様々な事に触れさせていただき、世界が広がりました。本当にありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。(2020.10.02)

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